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   大会テーマ、「どうしたらできるのか」と「どこまでできるのか」にチャレンジ

してくれた重いハンデのある選手が、たくさん参加してくれました。

   パラレルルールの大切な、ふれ愛・ささえ愛・笑い愛を達成できたと思います。

 

バルーン(風船・ふうせん)バレーボール、7月のお知らせ  2017・7・2

☆  第13回大阪大会・6/4は、みなさんのご協力で楽しく無事に終了です。

☆  各チームのみなさん、大会に「 負けても、勝っても楽しく参加してくださり」

笑顔と笑い声がいっぱいでした、ありがとうございます。

 

◎  関西大会11月5日(日)舞洲障がい者SCも、みなさんのご協力をいただき、


重いハンデのあるHP(1・2)」を中心にして開催を予定しています。

ハンデのない選手は、これからもハンデのある選手へのサポートを、心がけて 

参加をお願いします。

長居障がい者スポーツセンター・練習日 (参加申込みは、お早めに!) 

  7月15日(土)18:00~20:30(2面)

       7月29日(土) 9:30~12:00(2面)夏休み体験会

      8月 5日(土) 9:30~12:00(2面)  〃

     8月11日(祝)11:30~13:30(2面)  〃

       9/18(祝・月)15:30~17:30

    ◎
関西大会のスタッフ・審判員の希望者も、練習日に参加をしてください。

 

    * 淀川区、東淀川区、大正区、茨木市、島本町、豊中市、京都市の練習に参加したい、

見学に行きたい人は、普及会に連絡してください。

 関西・交歓大会(舞洲障がい者SC)11月5日(日)開催・予定 

                                            

 

◎  普及会はハンデのあるみなさんプレーに参加するだけでなく、スタッフと

しても参加をまっています、自立につながるように期待しています!!

 

☆  普及会は、「 ふれ愛 ♡ 
ささえ愛 ♡ 
笑い愛 ♡ 」大切にしています。               

                                                

  

「風船バレー用品(風船50入1箱=別途相談) 
  ◎ お問合わせは、下記にお願いします。 

風船(直径40㎝桃色)1個150-     大阪ふうせんバレーボール普及会 会長 石井勝治

  鈴(特製)1個50-(50入1袋=別途)      〒533-0033大阪市東淀川区東中島1-17-5-637

  空気入(ハンドポンプ)1本600-          Tel/Fax 06-6815-3523

*新型・風船ゲージ(四つ折り)1個1,800-    (MP-mail)ishiii. 1413 @ docomo. ne.
jp 

ゼッケン(肩ひも型.NO1~6.8色)1枚1,050-」 
  (PC-mail)ishkatsu
@ yahoo. co. jp  

(日本バルーンバレーボール協会・設立準備室を、普及会事務局内に立ち上げてます。)

120.00

2015/ 1/12 13:02

”多聞言葉”シリーズ(探喫8‐22)

新たなる創造

 「21世紀は“創造性”の時代である」と言われて久しい。

 だいぶ以前だが、「中小企業を保護すべき“平均的な弱者”と決めつけるより、多様な可能性と“創造性”を持った事業主体」と捉え、その潜在性に期待するような記事を見た記憶がある・・・。迅速な行動ができる中小企業にとって、環境の激変は“創造性”を発揮できるチャンスだという趣旨で、大いに共感したことを思い出している。

 「日本企業の99.7%は中小企業、その7割が新たな成長戦略を描けず、赤字で苦しんでいる」(国税庁調べ)という話を聞くと、“創造性”を発揮できる環境にあるにも関わらず、「なぜ?」という疑問が残る。

 「改めて問う、“創造性”とは?」 その本質は何だろう?また、なぜ、“創造性”は必要なのか?

 “創造性”について考えていると、次のような言葉が浮かんできた。

 純真無垢な好奇心・探求心・チャレンジ・勇気・ひらめき・空想・イメージ・多面性・関係性・伝播性・・・等々。

 それぞれの仕事の領域において、専門知識や熟練技能や経験等を積んでおく必要はあると思うが、どうもそれだけでは、“創造性”を発揮するには不十分のような気がする。“創造性”に適したマインドや価値観が必要なのではないか・・・。

 1, 目指すところが高く、現状に満足しない人

 2, 失敗を恐れず、打たれ強い人

 3, 大胆な発想で、勇気ある行動をとる人

 4, 決して、途中であきらめないという信念の人

 5, 多様性に価値を置き、共感的な関係性をつくれる人

 では、なぜ、“創造性”は必要なのか?やはり、世の中の進化・向上への貢献ではないだろうか。だとすれば、「世の中が根本的に欲していることは何か?」そして、「それを満たすために何をなすべきか?」を、つねに自問自答する必要があるだろう。

 これからの時代では、“創造性”を発揮できない企業は生き残れないという。それでは、どうすればそのような風土が生まれるのか?

 1, 独自な経営観を共有し、目的思考である(システム思考的)

 2, 失敗に寛容で、建設的な意見ができる組織(切磋琢磨)

 3, 主体的な人材が育まれる風土のある組織

 その前提には、統合的な思想や価値観を共有し、互いに高め合えるような学習組織が必要とされるであろう。

(H29.6.26)

120.00

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”多聞言葉”シリーズ(探喫8‐18)

観想

 今回の『墨字絵隊観閲式』(第5期⑤)で、「紙縒り墨字絵」について研修をし、討議してもらっていたとき、ふっと思い浮かんだのが“観想”という言葉である。その語源は、ギリシャ語のテオーリア(theōria)起因する概念だという。

 “観想”とは、表面的な理解を突き抜けて、より深い意味を探り、物事の本質を洞察することである。アリストテレスは、理性(=考える力)こそが人間の本質であるから、観想的な生活を送ることこそが最大の幸福であるとした。

 情報化社会に生きている現代人は、何か分からない事が出てきてもインターネットで調べれば、すぐに分かる。そう、深く考えることをしなくても、いっぱしの議論もできるし、すっかり知り尽くしているかのごとく思い込んでしまう傾向がある。

 情報過多の気忙しい環境で生きていると、浅く広くの知識の詰め込みが習慣化され、薄っぺらな思考しかできなくなり、目の前で起きている現象的な事実に対応することばかりに気が奪われて、その奥にある本質を見失ってしまう危険性をつねに潜んである。まさに、モグラ叩きの状態である。

 今のアーティストにとって、“観想”の習慣を持つことは極めて重要な事だと考える。なぜなら、変化に翻弄されず、その奥にある真実を洞察するには、自らの頭で深く考え抜くしか方法がないからである。

 “観想”とは、一つの特定された問題に焦点を当てて、それを深く考え抜くことである。心をそこへ集中する必要がある。例えば、今回のテーマである「新たなる創造」について次のように自問自答し、考えを集中してみよう。

 ① これはどういう意味なのだろうか?

 ② その提案の意味していること、目的とは何だろうか?

 ③ 自分にとって、どんな意味があるのだろうか?

 ④ この考えを作品に活かせるだろうか?

 ⑤ 我が芸術家集団に問うたら、どう答えるだろうか?

 どうだろう?どれぐらいの時間を、そのテーマに集中できただろうか・・・。また、どのような考えが浮かび、整理できたであろうか。思ったほど、集中力が持続しないことに驚かされる人もいるだろう。

 以前に、ある先生が言っていた事を思い出す。『心とは、「ころころ」するから「こころ」って、言うのだ・・・』と。あらゆる雑念を取り除き、一点に心を集中させるためには、はやり、それなりの訓練が必要だ。

 そのためにも、“観想”の習慣を身につけるように努力をしたいと考える。

大変多くの方に身に来ていただき感謝感激です。     G南蛮   中田伸吾(龍鳳)

(H29.5.29)

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”多聞言葉”シリーズ(探喫8‐17)

改めて、問う

 今週火より、『墨字絵隊観閲式(第5期⑤)』を開催します。お陰様で、2012年10月に第1期をスタートしてから6年目に入る。前回もそうであったが、卒業生がときどき顔を出してくれるのが有難い・・・。

 今回のテーマは、「新たなる創造~インフィニティ!」である。「芸術」とは、何を意味するのだろうか?“改めて、問う”と、いろいろな答えが出てきそうで面白い。グループ討議も、様々な意見が飛び交い、弾んでいたようだ。

 「芸術」を考えるとき、「自分は今、何のために描いているのか?」という芸術の目的やその芸術を選んだ自らの動機を問うことから始める必要があるだろう。“改めて、問う”と、それこそ十人十色だ。

 「生活のため。趣味や生きがいは他にある」「能力を高め、スキルアップしたい」「楽しいから、好きだから」「報酬をガンガン稼ぎたい」「自己実現したい(夢や志)」「社会貢献したい」等など・・・。

 このように芸術に対する目的や動機を“改めて、問う”と、ものの考え方(価値観)に次元の違いを感じることができる。「生活のため」というのと、「自己実現あるいは社会貢献ため」というのでは、明らかに次元の違いがあると思う。

 実は、「芸術の価値化」とは、その目的や動機の次元を高次化することにあると考える。つまり、マズローの欲求5段階説でいうところの、欠乏欲求(生理・安全・帰属・自尊)から成長欲求(自己実現・自己超越)へと次元を高めていくことから始めるべきではないだろうか。

 芸術の本質は、奉仕である。芸術の「芸」も「術」も「技」という意味だ。世のため人のために貢献できてこそ、芸術の価値は高まるものだ。まさに、芸術の報酬は芸術なのだ。

 芸術は必ず場を形成する・・・。場とは社会システムを構成する部分であるが、様々な出逢いがあり、関係性を構築して、システム化していく。そのような状況下で、私たちは支えられ、生かされている。つまり、ギャラリ-とは描く者にとって協働の場であると同時に、成長機会を提供してくれる場であり、自己実現のステージである。

 ア-ティストは、社会への貢献性を高めることにより、存在価値が認められ、より大きな場へと成長していく。その場に、優秀な人材が集い、切磋琢磨しあい、互いに成長する機会を共有しているのである。

 このように考えると、芸術の価値化とは社会システムの抱えている問題(ニーズ)に応えることによって、社会の進化に貢献することではないだろうか・・・。

(H29.5.22)