”多聞言葉”シリーズ(クハ‐29)
性質
人間には様々な“性質”がある。喜怒哀楽とは、人間の表現する様々な感情の代表的なものである。中でも、怒りっぽい“性質”というように、人間がもっとも左右されやすく、気をつけなければならない感情は、怒りであろう。
「短気は損気」という故事がある。気が短いと人間関係を損ねてしまい、何事もうまくいかない原因をつくってしまう。西洋にも、「Anger punishes itself.(怒りは自らを罰する)」という言葉があるようだ。
仏教では心の三毒として「貪(むさぼり)・瞋(いかり)・痴(おろかさ)」を掲げ、人間の心を毒する三つの根本的な煩悩の一つに、瞋(しん)=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)を指摘している。
また、憤死という言葉があるように、激しい憤りで心身のバランスを崩し、死に至るという例は、三国志の昔から伝えられており、現代医学においても怒りと病気の問題は、かなりの因果関係のもとに究明されているようだ。つまり、一言でいうと、怒りは身体に良くない、まさに毒そのものである。
そこで、自我的欲求で生きている人間にとって、だれもが持っている怒りっぽい“性質”について考えてみたい。
怒りの本質とは何だろう? 欲求不満・・・。思い通りにいかないことへのイラつき・・・。理想と現実とのズレ・・・。愛情の表現?(他人がやっても気にならないのに、身近な人がやると怒る)・・・。八つ当たり(腹いせ、憂さ晴らし、腹立ち紛れなど)・・・。
いろいろな原因があって、怒りが生じる。怒りっぽい“性質”の人の特徴を観察するのも面白い。自分に自信がない人、我が儘な人、余裕がない人、慢心・傲慢な人、我慢している人、すぐに切れる人、感謝が不足している人等々。
怒っている時って、どんな気分だろう?少なくとも、いい気分とはいえない。怒られている相手にとっては最低の気分だろうと憶測できる。極めてネガティブな人間関係の状態にあるといえよう。周囲にいる人に与えている影響だって、そうである。
怒りのほとんどは、私憤である。そして、そのすべての原因は自分の中にある。一言でいうと、煩悩のなせる業なのだ。思考や心の未熟さが、怒りっぽい“性質”として出てしまうと考えると、自制心を磨く機会だと考えることができそうだ。
自らを振り返ると、ストレス状態のときは、怒りっぽくなっているようだ。ストレスとは、環境へ順応できないときの体内に生じる歪みで、溜まると短気になるようだ。
怒りへの対処法に即効薬はなさそうだ。怒りっぽい性質であることを自覚し、つねに自制心を養うように心がけるしかないと考える。
(H26.10.22)