”多聞言葉”シリーズ(クハ‐15)
運
“運”とは、「天命のこと」。そして、天命とは「天の命令で、天から与えられた宿命」とある(広辞苑)。だから、「“運”は天にあって、人力ではどうすることもできない」というが本当にそうだろうか?
確かに、天から定められた“運”がある。父母の出逢いがあって小生が生まれたという事実(この関係はもっと祖先に遡るのであるが・・・)、そしてそれが今という時代環境で、日本という場所であった・・・。これらの事実に、自身の意思の選択があったとは思えない。
しかし一方において、「運をつかむ」とか「運を呼び込む」ともいう。これは、自分の心構え、心がけ次第で、“運”は変えられるということを意味している。現実に、自堕落な生き方をして人生のどん底を味わった人が一念発起して成功の人生を築きあげたという話は、よく耳にするではないか。
このように考えると、“運”には「天から授けられた“運”」と「自分でつかめる“運”」とがあると考えた方がいい。つまり、「与えられた環境で、いかに生きるか!」を真剣に考えることが大事だということであろう。
“考える言葉”シリーズでも度々引用させてもらう次の言葉との出逢いは、「“運”をつかむというのは、そういうことだったのか!」と得心した瞬間であった。
「人間は価値ある目的を持ったその時から、その人の人生のあらゆる“出逢い”は価
値あるものになっていくのである」(ヘーゲル)。
人生とは、まさに目標設定である。自らの意思を明確にするところに道は拓けるのである。計画を立てるとは、心を決めること、すなわち意思決定であり、出逢いのストーリーを描くことである。それは、“運”をつかむための準備だともいえる。
それから、もう一つ「人生は、心一つの置きどころ」(中村天風)。「人間の心で行う思考は、良くも悪くも、人生の一切を創る」という天風哲学の神髄である。これも、“運”は自らの手で切り拓くことができることを示唆してくれている。
“運”とは、人や環境との出逢いであると考える。「価値ある目的が価値ある出逢いを呼び込む」とは、そういうことである。大切なことは、その出逢いをいかに生かすことができるかどうかである。つまり、出逢いのあとの関係性をどのように築いていくかによって、“運”は動いていき、結果をもたらすのである。
では、目的の価値とは何で測るのか?それは、「真・善・美」のバランスだと学んだことがある(経営人間学講座)。
つねに明るく、元気に、良き想いでいれば、“運”もそう動く!
(H26.4.28)