”多聞言葉”シリーズ(探喫21‐08)
合作堂とセンス
“センス”といえば、小さい頃に草野球をやっていたときのことだが、見学に来ていた先輩たちの何気ない会話をいまでも思い出す。
「サードを守っているあのこ、“センス”がいいよね・・・」「うん、持って生まれたもので、理屈じゃないね」 それ以来、“センス”を磨くにはどうしたらいいのか、いろいろ考えたものだ。
- 盗んで、真似をする、② 天賦の才の背景にある法則を知る、③ 試行錯誤する、
- データベースをつくる等々。
小生は、職業柄、多くの経営者とお付き合いがある。その中には、“経営センス”の良さがビンビン伝わってくるような方々がけっこういる。もちろん、先天的な資質もあるのだろうが、どちらかと言うと、実践(体験)を通して学び身につけた後天的なものが多いように思う。
さて、そのセンスなるものも一人のセンスよりも二人のセンスを合わせた方がさらなる境地に達する場合がある。昔読んだ推理小説クラインの壺を思い出した。作者は岡嶋二人と言う当に二人の作家が話し合うこともなく順次話を書いてゆくのだ。にもかかわらず一つの素晴らしく面白い作品に出来上がっているのです。
紙こよりの会でも合作堂と言う作画がありまして何名かで一つの作品を完成させるのですがやはり三名以上になると作品にまとまりがなく、一つの作品として凡庸なものになってしまいます。お互いのセンスを認め合った二人が一番良いようだ。なんか合作堂の波がやってきそうな予感がする。「先見力」「決断力」「実行力」を基準に観察し、チェックしていることが多いような気がする。ただ、“センス”とはバランス感覚のようなものであるから、様々な力の総合力だと考えた方がよい。
そして、その総合力を支えているのは、会員其々の生き様、つまり価値観、使命観、信条や信念などであり、芸術に対する哲学だと思う。
また、“センス”とはファンにつながっていないと意味がない。その意味においてもマネジメント能力を発揮できるセンスが求められる。
芸術とは3つの戦い(組織統率力、環境適応力、変化への対応力)をしていると言われている。これら3つの戦いに勝ち、生き残っていくために自らの“センス”に磨きをかけ続けるしかない。
自らの“センス”を磨くには、何をすべきかを洗い直す必要がある。
「提督の日」は、一日かけて、紙こよりの会の理念の見直し、SWOT分析、課題の抽出、
解決方法などを考える。“センス”を磨くいい機会になると思う。
(R3.2.22) ♪Good-bye Joe, he gotta go, me – oh, my – oh.
He gotta go pull the pirogue down the bayou.
Here’s Yvonne sweetest one, me – oh, my – oh.
Son of a gun, we’ll have big fun on the bayou.