みなさん! 生活の仕方が変わってきます、あせらずに準備しましょう ‼
バルーン(風船・ふうせん)バレーボール6月のお知らせ 2020・6・2
6月1日発表、 長居障がい者スポーツセンター 情報
○ 7月末日まで個人使用、平日は先着順(土・日は抽せん)、6月8日~開館
昨今の状況です、各自で日時や内容を、直接に確認してから申込んでください。
◎ 普及会の体験会、練習会、大会などの日程は、8月1日以降に発表予定
* 学校・支援学校・事業所・作業所・施設・市民活動など体験会は、ご相談ください。
普及会は、“ ふれ愛 ♡ ささえ愛 ♡ 笑い愛 ♡ ”を大切にしています!
知ってますね ‼ 「せっけんで 手洗いすれば アルコール消毒は いらない」
- 厚生労働省発、「コロナウイルスは、外側がエンペローゼという脂質の膜で覆われてます。膜をこわしてくれるので、ウィルスが感染力を失うのです。」
- アルコール(エタノール)または界面活性剤(せっけんや家庭用洗剤に含まれる)は、この
☆ 6月7日(日)豊中・まちかねワニの練習、合同練習はしません。
☆ テレビやラジオで「ラジオ体操」、朝・昼・晩、つづけてますか。
ホームページ、「 https://www.balloonvolleyball.org/ 」ご覧ください。
△ 4月25日(土) トヨ♡パラ (なんば・府立体育館)、順延 検討中。
✖ 6月7日(日)・第16回大阪大会・長居障がい者SC、中止とします。
10月25日(日)・第14回関西大会・舞洲障がい者SC、開催予定です。
「風船バレー用品・予算など相談可 ◎ お問合わせは、下記にお願いします。
風船(直径40㎝桃色)1個150-鈴1個50- 一社)大阪ふうせんバレーボール普及会 会長 石井勝治
風船5個750+〒140=890円+10% 〒533-0033 大阪市東淀川区東中島1-17-5-637
風船5個750+鈴10個500+〒205=1455円+10% Tel/Fax 06-6815-3523
* 風船50個入1箱・鈴50個入1袋、別途価格 (MP-mail)ishiii. 1413 @ docomo. ne. jp
ポンプ600円ゲージ300円,1200円,ゼッケンは別途」 (PC-mail) ishkatsu @ yahoo. co. jp ■CHムートンの歴史、男爵の名言
■毎年違うラベルと、その報酬とは
■CHムートンの歴史、男爵の名言
ロスチャイルド家の3男で、ロンドン・ロスチャイルド家の礎を築いたネイサン・マイヤー・ロスチャイルドが1853年に購入したシャトー・ムートンは、1885年に行われたボルドー・メドック地区の格付けでは他の5大シャトーと違い、第2級でした。(ちなみにCHラフィットは5男のジェームス)
この悔しさをムートンはラベルにこう記しています。
『第一級たり得ず、第二級を肯んせず、そはムートンなり』(=第一級にはなれなかったが、第二級では甘んじていられない、ムートンはムートンである)
その後、長きに渡り積極的な設備投資による品質向上に努め、さらには猛烈なロビー活動を展開して、1973年に念願の一級昇格を果すことができたのです。
またこの昇格時に男爵は、『今第一級なり、過去第二級なりき、されどムートンは不変なり』(=現在は第一級であるが、過去に第二級であった、しかしムートンは変わることがない)という言葉を残しています。
また犬型のラトゥールに対して、猫型のムートンといわれるように、このシャトーの造り出すワインは年によってバラつきがあると言われています。ブドウの出来がよい年にもあまり成功しないこともあれば、不作と呼ばれる年でも非凡なワインを生み出すことがあります。それらの理由からヨーロッパでの人気は今ひとつのようですが、日本での人気は高く商業的に成功しています。
■毎年違うラベルと、その報酬とは
このワインが商業的に成功した理由のひとつにラベルアートにあります。
アートラベルが始まったのは1945年、毎年1人の画家に1枚の絵の作成を依頼してきました。
フランス人ではミロ、ピカソ、シャガール、コクトー、アメリカ人ではウォーホル、マザーウェル、ジョン・ヒューストンなどの著名な画家によってシャトー・ムートンのラベルが飾られました。
そして今もなおそのデザインに世界の目は向けられており、毎年ラベルの発表には大きく話題に取り上げられ、ワインコレクターのひとつの楽しみでもあります。
ラベルを依頼された画家たちへの報酬は、なんと金銭ではありません。
ピカソでも誰でもみんな、なんとワイン10ケース(120本)なのです。そのうちわけは、5ケース(60本)はその画家の描いたラベルの年のワイン、残りの5ケース(60本)は画家当人が望んだ収穫年のものになっているとのことです。
ちなみに、今までこのアートラベルには、日本人画家も過去に2度起用されています。
1979年は堂本尚郎氏と1991年のセツコ・バルテュス(出田節子)さん。
日本人初となる1979年は堂本氏は、ムートンから電話で「絵を描いて欲しい」との依頼を受け、描く場所について質問しました。壁画のようなスケールを想像していた氏は、「ワインボトルのラベルに」というムートンからの返事に戸惑い、「そんなところには描けない」と言って断ったそうです。
ところがその後、ラベルの歴史や実際のワインを見て驚き、急きょ、承諾の返事をしたとか。 奇しくもその年は日本での干支(えと)も「未(ひつじ)」でした。