”多聞言葉”シリーズ(探喫09‐26)
価値化
先月(28~02日)、紙こよりの会後継者育成塾(第6期⑥)を終えたばかりである。毎回テーマがあって、導入講義のあと、準備された質問に対してのグループ討議をメインに進行していくのであるが、今回のテーマは『芸術の“価値化”~「芸術の報酬は社会貢献である」』であった。
ここでいう“価値化”とは、「何のために(目的)」を問い正すことによって、「価値の次元を高める」という意味でいっている。
まず、芸術の本質を考える・・・。芸術の「芸」も「術」も「技」を意味する。技とは炉火純青の如くつまり炎が青くなると温度が最高になるように技も至高に達する、他への貢献を旨とし、「世のため人のために尽くす」のが芸術である。自分の利害得失を介在させる余地は微塵もないという覚悟が求められよう。
さらに、「芸術の報酬は芸術である」とは・・・芸術の報酬は、金銭ではなく、芸術である。つまり、いい芸術をする人には、もっと難しい芸術が与えられるという。これを割に合わないと感じるのなら、プロとは呼べないだろう。
以上のような芸術への考え方をベースにおいて、下記のことについて考え、議論してもらう。
- 芸術と自己成長との関係性について
- 芸術における成果とは、何をいうのか
- 芸術における生産性と人間関係について
- 人はなぜ、組織で芸術をするのか
- 芸術と社会との関りについて
私たちは、人生の大半を芸術との関りの中で生きており、それぞれの芸術を通して社会との絆を保ち、強化している。にもかかわらず、芸術の“価値化”について、日々省みることをせず、怠っているような気がする。
芸術の“価値化”に成功した先達者たちは誰もが次のことを知っている。
「芸術の本質は、社会貢献である」とするならば、「どんな芸術でもそれは世の中に必要とされるべきものであって、世の中の人たちが求めていなければ、自分の芸術は存在していない」という事実である。つまり、世の中の支持があってこその自分の芸術なのである。
「自分の芸術は世の中の芸術である」という発想を持っている人は、小さな自己満足に陥らないものだ。つねに創意工夫を重ね、世の中の進化に少しでも貢献したいと願っている。それ故に日々新歩だ、“価値化”である。
(R元.7.22)