”多聞言葉”シリーズ(探喫8‐24)
捨てる
「光陰矢の如し」という諺がある・・・。
いうまでもなく、月日の過ぎるのは、矢が飛んでいくようにはやいという例えである。だから、日々を無為に過ごしてはならないという戒めでもある。確かに年を重ねる度に、さらに実感できる諺である。
そこで当然のことながら、時間を有意義に過ごしたい、活用したい、そのためにはどうしたらいいのかという、問題が生じる。それに対する小生の解はシンプルで、「今なすべき目標を明確にし、その達成に専念することである」と・・・。
最近よく耳にする言葉に、「仕事の断捨離」がある。要領の悪い人はなんでもやろうとするが、要領のいい人は断る事や“捨てる”事ができている、すなわち「仕事の断捨離」がうまいので、無駄な時間を使わないのだと・・・。
「ToDoリスト」をつくって、やるべきことをチェックし仕事に追われている人が多い。それよりも「やらないことリスト」を作成したほうが仕事の無駄が省け、効率もいいじゃないかと・・・。(今すぐやる必要がないもの、成果が期待できないもの、不要な会議、不要なブレスト等々)
確かに、一理ある。また、ある意味そうあるべきであろう。しかし、小生の経験からいうと、仕事というのはいろんな人や事の関わり合いでできており、そう単純に割り切れるものではない。“捨てる”という行為は難しいもので、いつも悩むところでもある。
そんなとき出逢ったのが、ニーチェの言葉だ。
「限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何をきっぱりと捨てなければならない。しかし、何を捨てようかと悩んだりする必要はない。懸命に行動しているうちに、不必要なものは自然と自分から離れていくからだ。あたかも、黄色くなった葉が樹木から離れ去るかのように・・・」
要領の良し悪しで「“捨てる”、捨てない」を判断するのではなく、自らの役割や使命に基づき、今なすべきことを明確にして、専念する。あとの“捨てる”は、自然の摂理に委ねることだと・・・。迷いがなくなり、腑に落ちた瞬間である。
現に、必要だと思っていた事がそうでもなかったり、不要だと思っていた事が重要なものとして機能してくれたりということは多分にあることである。運は、つねに関係性の良し悪しで動くもの、まさに「心一つの置きどころ」だと思う。
時間がないわけではないし、過ぎ去るのが早くなったわけでもない。自分の心理的な状況が、そう思わせているだけに過ぎない。年と共に、理想を“捨てる”自分こそが、その原因であると考える。理想のもと、今に専念しよう。
(H28.7.11)