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“多聞言葉”シリーズ(探喫‐770)

問題

 「どうして、私の周辺には“問題”ばかりが多いのだろう?」と悲観的になっている人が結構いるという。

 しかし、よく考えてみると人生も仕事もつねに“問題”と向き合い、その“問題”解決の連続性のような気がする。そう考えると、“問題”そのものが多いことで悲観する必要はなく、悲観すべき要因は他のところにありそうだ。

 「“問題”はできれば避けて通りたい」というのが、多くの人のホンネだろう。でも避けられないから、経験と思いつきで、眼前のモグラ叩きをやってしまう。やっと叩き終えたかとと思えば、また新たな“問題”が現れる・・・。それでは疲れ果ててしまうのが落ちであろう。

 一度、“問題”を本質から捉えなおしてみて、その観点から整理整頓してみる必要があるのでなかろうか。

 そもそも“問題”とは何か?小生のなかでは、“問題”の定義は明確である。「あるべき姿と現状との差」、それを“問題”と考えている。だから、“問題”解決とはその差を埋めることであり、そのために何をすればいいのかを考えることである。

 “問題”の定義がはっきりすれば、あとは次の“問題”解決の手順に従って、なすべきことを目標化して、実行するのみである。

 1.“問題”の特定(どこに“問題”があるのか。“問題”の全体を把握し、優先順位を

つけて絞り込む)

 2.原因の究明(その原因は何か。「Why?」を徹底し、因果関係を突き詰める)

 3.解決策の立案と実行(「誰に、何を、どのように」を明確に落とし込む)

 以上のように、“問題”の本質を捉えなおし、正しく“問題”と向き合うことができるならば、“問題”こそが、成長の真の要因ではないかと考える。

 だが、現状において“問題”に対して悲観的にならざるを得ないのは何故だろうか?

それは、あるべき姿を見失ってしまい、“問題”の特定ができないままモグラ叩きの状態に陥ってしまっているところにある。つまり、報われない努力をしてしまい、疲れ果てるのである。

 元来、“問題”とはその人にとって能動的なものである。決して受動的に対応する性質のものではなく、主体性を発揮する機会だと思う。

 「“問題”とは、自らがつくり出した成長のための壁だ」と考える。

その気

 “その気”とは「ヨッシ、一丁やってみるか!」と行動を起こす気持ち、つまり、やる気になることである。

 本を読むことや、いろいろな研修会やセミナーなどに出て、先達者たちの考え方や成功体験に触れると、“その気”スイッチがオンになって、俄然意欲的になることがある。学後の実践へ踏み出すための第一歩である。

 「人を動かす」というと少しおこがましいが、人を“その気”にさせるというか、やる気になってもらうのは、そう簡単なことではない。

 どうすれば、人は“その気”になるのであろうか?

 “その気”のメカニズムをつくるのは、その人のもつ内的欲求であり、それを貫く意志が絶対条件である。その意味において、“その気”にさせる最大のポイントはその人の主体性をいかに引き出すかにかかっていると考える。

 そして、主体性は自覚から始まる。だから、自分の頭で考え、問題の本質に気づかなければ生じないのだ。「自分で考え、自分の問題の本質」に気づかない限り、人は決して“その気”にならないのである。

 私は、吉田松陰の下記の詩が好きだ。

      「かくすれば かくなるものと知りながら

                  やむにやまれぬ 大和魂」

 なぜ好きかというと、この詩には考え抜いた末の直情径行といってよいほどの熱い想いと行動があるからだ。

 さらに、この詩には人を動かす、つまり“その気”にさせる力がある。

(H28.5.20)