”多聞言葉”シリーズ(コハ-36)
自覚
自分のやりたいこと、好きな仕事に専念しているうちに、それに関連する様々な出逢いが生じ、一つの場が生まれる。その場に感謝し、場のレベル向上のために頑張っているうちに、いつの間にか周囲の人から引き立てられ、その立場を演じている自分に気づかされる。どちらかというと、強烈な意図があってというよりも、自然の流れの中で、その役割を演じているうちにその気になっている自分がいるのだ。
それにしても何故、やり続けているのか・・・?それは、“自覚”であろう。“自覚”とは、読んで字の如し。自らを悟(=覚)るということだ。つまり、「この役割は、自分が演じなくて誰が演じるというのか!」という、自分自身の問題意識なのである。
「やり続けている動機は何か?」という問いの答えは、一言でいうと「“自覚”でしょうね!」ということになる。だが、“自覚”に至るまでのプロセスは上記の通りである。“自覚”に至ると、思いや動機のレベルが明らかに変わる。使命観や責任観ともいえるものだろう。ラクビージャパンも決して奇蹟の勝利ではない。軌跡の勝利だ。
もちろん、やりたいこと、好きなことをしているという意味においては何ら変わりはないのだが、この場に関わっていてくれる人たちがどのような成果を得ているのか、またその場が環境に及ぼす影響力は如何ほどのものなのだろうか等々、自分を超えた全体の様子が気になってくるのである。恐らく、それが“自覚”なのだと思う。
どんな“自覚”を持つのかによって、私たちは自らの環境を呼び寄せているである。そして、自分の思う通りの人生を演じている。自作自演、それが人生なのである。
(H27.9.22)