“多聞言葉”シリーズ(コハ‐31)
言葉の力
最近読んだビジネス書に、確か、次のようなエピソードが紹介してあった。
素直に「ありがとう」と感謝を表現できる人には、秘められた自信が感じられ好感がもてる。一方で、「すみません」と謝罪ばかりしている人を見ると、卑屈で自信のなさを感じ、悲しい気持ちになる・・・。ハーバードの学生は、「ありがとう」(“Thank you”“Thanks”)を頻繁に口にする。一方で、「すみません」(“Excuse me”“I´m sorry”)は、本当に謝罪するときだけだという。著者は、日本語の「すみません」は便利だが、曖昧。だから、「ありがとう」9割に対して、「すみません」が1割。9対1のルールを心がけているそうだ・・・。
小生は、著者の弁を理解しつつも、「すみません」の持つ微妙なニュアンスは捨て難いと思っている。「お互い様」というか・・・。
「あっ、すみません!」というと、相手が「いえ、こちらこそ、すみません!」と返す。このやり取りには、良くも悪くも「人生、お互い様ですから・・・」という人間関係の本質を掴んでいるような気がするのだ。
以前に読んだ『百歳からあなたへ』(松原泰道 著)という本の中に、次のような言葉があったことを思い出した。
「ありがとう」は、「有ること難し」と書く。容易でない、稀有、めったにないということ。つまり、その厳粛感を受け止めよう・・・。「すみません」は、人生の恩返しの決済が済んでいないことへの確認だという。たくさんの人のお世話になって生きている、そのお礼返しが済んでいないという心の痛み、敬虔な気持ちの表現だという・・・。
著者の松原泰道師(1907〜2009)は、65歳のとき書かれた『般若心経入門』がベストセラーとなったをきっかけに世間デビューされたそうで、口の悪い友人に「おまえ、定年後から、のこのこ出てきたな」と言われたという。だが、それから101歳で死去されるまでに、百冊に及ぶ書物を著したのだから凄いの一言。
小生も10冊以上購読させて頂いているが、仏教や人生等のエッセンスを平易な言葉で表現されているのに、いつも驚かされる。
「どんな小さな仕事でも、真心を込めてやっておくと、後になって必ず芽を吹いてきます」という・・・。「“心の中に床の間”を設け、“杖ことば”を掛けて心を養おう。床の間とは“考える場”であり、“間”には“めぐり合わせ”という意味がある」という・・・。
老師100歳からの心境は、心に響き、“言葉の力”を感じざるを得ない。
「すみません」は、過ちを犯したとかではなく、「人生の恩返しの決済が済んでいない」という確認・・・。敬虔な気持ちでいると、いつも賢くなれる、有難い話である。
(H27.8.17)