緊急紙こよりの会速報
画伯名言集 番外編
小生「俺は人前に立って何かやるような人間じゃねえ」って画伯にいったことがあって・・・そしたら、画伯『愛っていうのは何よりも与えることで絵画や音楽をやるってのは世界に愛を与えることだ』『だから誰かに魅せて聴かせてやれ』って言ってたよ。だからいつの日か必ず中津駅のアポロンを復活させるのだ。令和5年10月予定!
帰ってきたアポロンbyギャラリ-南蛮
pipipi緊急入電1017速報
紙こより画作者彩雲氏が原因不明のイップスに陥っている模様、現在彩雲氏の作品は手元には皆無である。尚数点は龍鳳氏(中田伸吾師)管理下に置かれている。(鳳彩庵龍雲作品も同様)これらの作品のお問い合わせに関しましても下記までお電話ください。
龍鳳氏は何とか彩雲氏を鼓舞し叛骨心を煽る言葉を投げかけ、復活のきっかけを作ろうと献身されておられる姿は創始者の懐の大きさである。聞くと中田伸吾師でさえ、書けなくなった時期があるのだそうです。 提督
令和4年10月08日~16日迄、昨年同様みんなで描く紙こより画会をコミスタ神戸にて開催するとのことです。もちろん作品の展示も多数あります。尚詳細は中田伸吾(龍鳳)迄090-9098-5557 これは昨年の写真です。実演や参加イヴェントについても中田までお問い合わせください。
ヤクルトスワローズのリ-グ制覇と村上選手56号本塁打及び三冠王を祝す!
令和4年9月27日、モンゴルの次世代を担う若者に向けた美術書籍「新・美・源~後世に伝える日本・モンゴル美術総集~」を発刊いたしました。
モンゴル国教育・科学省ウランバートル市教育局に収蔵され、国内の学校へ配本されます。
本書籍中には、日本全国の現代芸術を代表するアーティストの作品の他、モンゴル国立美術館が所蔵するモンゴル芸術の代表的なコレクションも多数掲載されており、貴重な一冊となっております。
また発刊にあたりモンゴル国ウランバートル市内の新モンゴル日馬富士学園において、学生たちと日本人アーティストたちとの交流会も行い、盛況のうちに終えることが出来ました。
学生たちが、熱心に耳を傾け、目を輝かせる様は、芸術の持つ無限の可能性を感じさせるものでした。
ご尽力いただいた新モンゴル学園理事長ジャンチブ・ガルバドラッハ先生、新モンゴル日馬富士学園理事長ダワーニャム・ビャンバドルジ先生(元・横綱日馬富士関)始め、本書の編纂・出版に携わっていただいた全ての皆様方に、この場を借りて御礼申し上げます。
一、
- 信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
- 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し
- 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地
- 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき
二、
- 四方に聳ゆる山々は 御嶽乗鞍駒ヶ岳
- 浅間は殊に活火山 いずれも国の鎮めなり
- 流れ淀まずゆく水は 北に犀川千曲川
- 南に木曽川天竜川 これまた国の固めなり
三、
- 木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖には魚多し
- 民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
- しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
- 細きよすがも軽からぬ 国の命を繋ぐなり
四、
- 尋ねまほしき園原や 旅のやどりの寝覚の床
- 木曽の桟かけし世も 心してゆけ久米路橋
- くる人多き筑摩の湯 月の名にたつ姨捨山
- しるき名所と風雅士が 詩歌に詠てぞ伝えたる
五、
- 旭将軍義仲も 仁科の五郎信盛も
- 春台太宰先生も 象山佐久間先生も
- 皆此国の人にして 文武の誉たぐいなく
- 山と聳えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽ず
六、
- 吾妻はやとし日本武 嘆き給いし碓氷山
- 穿つ隧道二十六 夢にもこゆる汽車の道
- みち一筋に学びなば 昔の人にや劣るべき
- 古来山河の秀でたる 国は偉人のある習い
現代語訳(意訳)一、
- 信濃国は、10か国の令制国(上野国、越後国、越中国、飛騨国、美濃国、三河国、遠江国、駿河国、甲斐国、武蔵国)と境を接する広大な国である
- 当地にそびえる山は遥かに高く、流れる川は長大である
- 山国ではあるが、松本平、伊那谷、佐久平、善光寺平の、計4つの肥沃な平地がある
- 海がない内陸県ではあるが様々な物品を産し、物に不足することは無い
二、
- 四方に聳える山々で著名なものを挙げるなら、御嶽山、乗鞍岳、木曽駒ケ岳
- 浅間山は活火山として著名である。これら山はいずれも信州の地を鎮っている
- 澱むことなく軽快に流れる川で著名なものを挙げるならば、北へ流れた末に日本海へ注ぐ犀川に千曲川。南へ流れ太平洋へ注ぐ木曽川に天竜川。
- これら川も信濃の地の基である。
三、
- 木曽谷にはヒノキはじめ有用な針葉樹が茂り、諏訪湖は水産物の宝庫である。
- 住民はさまざまな生業に励み、五穀の実らない村落など無い。
- そればかりか桑の葉でカイコを飼う、養蚕の技術も広範に広まっている
- 養蚕は家ごとの零細な家内工業であり、生産された生糸は細くて軽い。しかし、その意味は決して軽くはない。信州の基幹産業として、さらに日本の重要輸出品として国の命運を繋いでいるのだ
四、
- 信州の名所を挙げるなら、万葉集の時代から歌枕の地であった阿智村智里の「園原」をぜひとも訪ねたい。あるいは浦島太郎が玉手箱を開けた地との伝承がある「寝覚ノ床」で一夜の宿を結びたい
- 旅人の便宜を図り、木曽川の断崖には「木曽の桟」が、犀川の流れには久米路橋が架けられた。だが、険しい道は心して進みたいものである
- 奈良時代からの歴史がある筑摩の湯は旅客で賑わう。古今集が編纂された時代より、月見の名所と詠われた姨捨山。
- これら名所は風流人に愛され、和歌や漢詩に詠み込まれて伝えられてきた
五、
- 源平合戦で都に凱旋し、「旭将軍」と讃えられた源義仲。織田信長の甲州攻めの折、高遠城で対峙した仁科盛信。
- 儒学者として「経済」の語を世に知らしめた太宰春台。幕末の洋学者であり、維新の志士を教育した佐久間象山。
- みな信州にゆかりのある偉人である。
- 文武両道に優れた彼らを世人は山のように振り仰いで尊敬し、名声を川の流れのように末永く語り継いでいる
六、
解説[編集]
全6番からなり、4番のみメロディーとテンポが異なる(転調ではない)。4番が異なるのは、七五調の歌詞の中で「寝覚の床」「姨捨山」と字余りが2回出てくるのと、情緒を持たせるためだと言われている。
歌詞の内容は、各節で次のように分かれている。
全般に長野県域の地理・歴史・文化を賞揚するものであり、御嶽山・乗鞍岳・木曽駒ヶ岳・浅間山・犀川・千曲川・木曽川・天竜川・木曽谷・諏訪湖・佐久間象山と、長野県各地の事物や長野県に縁を持つ人物が列挙されている。但し、作詞者の浅井は中信地方出身の旧松本藩士族であるためか、取り挙げられている事物や人物には偏りが見られる。
その内容から、「複数の盆地の寄せ集め」「連邦」と揶揄される、長野県の一体性と結び付きを高める為の精神的支柱として使用されてきた。これに関連して、「信濃の国」には直接登場しない下高井郡では、独自に郡歌を作っている。
なお、5番において「仁科五郎盛信」が「仁科五郎信盛」として歌われている。仁科盛信は一般に「盛信」として知られているが、近年には「信盛」と記された文書が残されていることから、改名していた可能性が指摘されている[1]。