緊急電pipipi紙こよりの会中田伸吾代表發

予定されておりましたギャラリ-南蛮での

『10月12日~10月17日』中津駅のアポロン【中田伸吾と愉快な仲間たち】

苦渋の決断にて中止するとの決断をされました。それにより16日に予定

されておりましたジャズフェスティバル(第弐回中津駅のアポロンjazz)も

中止となります。誠に残念ではありますが絵画展およびフェス参加予定者

には直接中田伸吾代表より順次案内されます。あしからず。 事務局

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1938-フランスに移り、アンリ・マティスの指導を受ける。この時、マティスに自分の絵の批評を請うと「お前の絵はうますぎる」と言われ、これを自分の画風が出来ていないと捉えて愕然とする。猪熊弦一郎さん画歴一部,ウイズぺギア参照

この『お前の絵はうますぎる』現在画家中田伸吾先生(紙こよりの会代表創始者)の名言でもあります。これについてインタビュ-させていただいたときのお答えが深い。

【個性がないのではなく個性がありすぎたら人が絵の中に入ってこれない。うまく書こうとする思いをのけて自分の思いを素直に出し描きたいものをただ一生懸命描くことだと思います。うまい人は世の中にたくさんいます、下手な人の絵は味わいがあり人の心を和ませます。子供の絵はそういう意味でも素晴らしい。】

事務連絡(紙こよりの会)各登録の先生方へ。御作品について裏打ち軸装をお考えの先生は大阪JR環状線福島駅すぐ大阪駅方向を背に左側に降りほんの少し野田方向に進み左側にある’『書游』通常火水木金の営業10:00~17:00,がお勧めです。概に龍鳳先生・彩雲先生が使っておられます。9/24

”多聞言葉”シリーズ(探喫21‐36)

知的資産

 先週9月9~10日、『NN構想の会・第21回全国大会』がオンラインで開催されて、全国から多くの方々の参加のもと、無事に終了することができた。偏に皆様の協力のおかげだと感謝の気持ちでいっぱいである。

基調講演、パネルディスカッション(第Ⅰ、Ⅱ部)、分科会(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ部A~H)とメニューが豊富で、学ぶこと多き、充実した2日間だったと思う。大会の詳しい内容については、ホームページなどで見聞できるので、関心のある方は立ち寄って頂きたい。

さて、基調講演~「専門家と地域金融機関のチームによる中小企業伴走型支援のパラダイムシフト」で、講師のお招きした日下智晴氏(金融庁)が事業性評価に基づく融資のあり方で、“知的資産”分析の重要性について話をされていたので紹介したい。

“知的資産”とは、人材、技術、組織力、顧客とのネットワーク、ブランド等の目に見えない資産のことで、企業の競争力の源泉となるものである。バランスシートだけでは把握することができない、この“知的資産”をしっかりと掌握することがコロナ禍でクローズアップされてきているという。

コロナ禍で同じ影響を受けて、どこの企業も、顧客が激減し、売上減少の状況に陥っている事実がある。このことはある意味、やむを得ないとしても、問題はアフターコロナのおける回復軌道に乗ったときの企業格差であろう。

つまり、客足の戻り・売上の回復に、次のような差が生じるのではないかという。

  • すぐに回復できる、② 徐々に回復する、③ 回復の遅れが生じる。

この差は、財務には無相関であり、“知的資産”のみで決まるのだという。例えば、自社の原状回復を、うずうずして待ち望んでくれているロイヤリティの高い顧客がどれだけいるのか、などである。

“知的資産”に関して詳しく知りたければ、中小企業基盤整備機構がまとめた『知的資産経営マニュアル』を参考にするといいだろう。

その中に、「知的資産経営」を実践するための、次の4つのステップが紹介してある。

  • 自社の強みを認識する(“知的資産”の棚卸)
  • 自社の強みがどのように収益に繋がるかをまとめる(ストーリー化)
  • 経営の方針を明確化し、管理指標を特定する(見える化の技術)
  • 報告書としてまとめる(見せる化の技術)

実は、これらの手順、ステップは、IG会計グループが行っている経営者のための『将軍の日』(中期5カ年計画策定セミナー)と、ほとんど同じである。

ぜひ、参加して頂き、自社の“知的資産”経営を再考し、活かして頂きたいと思う。

(R3.9.13)

ブリューゲル(バベルの塔)

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“多聞言葉”シリーズ(探喫21‐38)

長崎鎮守府より投稿・馬場局長(福岡鎮守府)認証済み

DX

“DX”とは、英語で「Digital Transformation」を意味する。Transformationとは「変形」、「変質」、「変容」という意味なので、日本語にするならば「デジタルによる(社会の)変容」ということだろう。

接頭語のTrans‐がXと略されることから、「Digetal Transformation」の略語として“DX”が定着するようになったという。

“DX”という言葉は、2004年にスウェーデンのエリック・ストルターマン教授(ウメオ大)が提唱したとされている。この言葉が誕生して、17年も経っていることになる。

遅ればせながら、“DX”について真摯に学びたいと思った。

日本では、2010年代の後半頃から“DX”という言葉が浸透してきたようで、経済産業省のガイドラインでは、“DX”を次のように定義している。

「企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること」としている。(「DX推進ガイドライン」参照のこと)

同ガイドラインは、大きく次の2つの項目で構成されている。

  • DX推進のための経営のあり方、仕組み
  • DXを実現する上での基盤となるITシステムの構築

つまり、まずはトップマネジメント自らが強い当事者意識をもって取り組み、全体に対してコミットメントすること。さらに、全社的なITシステムの構築に向けたガバナンスの確立が必要だと、指摘している。

“DX”化の目的は、一言でいうと、「変革」である。つまり、ビズネス環境の激変に対応するために、どう自己変革することが競争上の優位性を確立し、生き残っていけるのかをしっかりと考え抜くことである。つまり、小手先のテクニックではない・・・。

そのためには、次の2つの問いに向き合う必要がある。

  • “DX”化に伴い、「自社が属する業界はどこに向かっていくのか」
  • 一変しうる業界の将来において「自社はどのような役割、立ち位置を担うのか」

さて、“DX”という大きな波を乗りこなす準備ができている企業がどれくらいあるのだろうか?“DX”というバズワードに踊らされず、変革の時代を戦い抜くにはどうしたらいいのだろうか。

ある週刊誌で、将来なくなる職業ランキングが掲載され、話題になったことがある。やはり、“DX”についてしっかりと学び、その未来についてもっと考えようと思う。

(R3.9.27)

茨木高校校歌

 私の母校である大阪府立茨木高等学校の校歌は、1912年に多間力蔵が作詞したそうですが、校名・地名が読み込まれていないという意味では稀有な校歌だということです。
1912年というと、第1次世界大戦開戦の2年前ですから、歌詞をみると、「本務を尽して 天意にそはん」とか「至誠を致して 国運たすけん」のように軍国主義的な匂いもしないわけではありません。
それでは、その校歌を紹介しましょう。

天つ空見よ 日月も星も
其時違えず その道めぐる
我等も各々 力行やまず
本務を尽して 天意にそはん

世々の跡見よ いづれの国も
つとめておこり おごりて亡ぶ
我等も互に 荒怠いさめ
至誠を致して 国運たすけん

私が高校生のときは、それほど良い歌とは思わず、校歌なので仕方なく歌っていたというのが本音ですが、高校卒業後20年経って、その意味を考えてみると、随分意味の深い歌だったのだと思います。
私は特に2番の歌詞が好きです。

外国では、ローマ帝国、蒙古帝国、ブルボン朝、ハプスブルグ家、ドイツ帝国など強力で誰も倒せないと思った帝国も、そのうち滅んでいきます。
日本でも、摂関時代の最盛期である藤原道長の歌「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」の世、「平家にあらずんば人にあらず」の平家全盛時代、鎌倉幕府初期、徳川幕府の初期など、飛ぶ鳥も落とす勢いだったと思います。
しかし、それらもいずれの国も、いつかは滅びていきます。

大阪ふうせんバレ-ボ-ル普及会 会長 石井勝治

石井勝治氏

バルーン ( 風船 ・ ふうせん ) バレーボール 9月のお知らせ   2021・9・2

 

みなさん、まだ緊急宣言のつづく残暑の日々、元気に過ごしてますか。

関西大会が近くなって、「練習会をやってほしい。」「心配で、参加させたくない。」など

ご意見ありますが、練習会は12日以降の状況により、改めて各チームに連絡します。

                                                                

 

11月21日(日) 第15回関西大会 舞洲障がい者SC 体育館 10:00~ 予定

  • 「もう少し詳しい説明をしてほしい。」 、とのご連絡が多数ありましたので、

まもなく スタッフ・全チームに 案内書・申込書などを送付します。

                                                                                                  

ニュース

◎ 「豊中・まちかねワニ」チーム9/23(祝)を予定、参加希望の方は練習の場所が

変更されてますので、確認してください。

 

  • 各チームの練習用に、用具一式・小型ネットなど貸し出してます、ご連絡ください。

 

第10回 大阪マラソン・来年2/27(日) ボランティアに、参加を予定してます。

普及会ボラは10回目となります、14名を募集します、ご連絡ください。

 

                                                                 

 

“  ふれ愛 ♡  ささえ愛 ♡  笑い愛 ♡  ” を大切にしています!

 

普及会のホームページ、「大阪ふうせんバレーボール普及会」検索か

https://www.balloonvolleyball.org/ 」、ご覧ください。                                                     天つ空見よ 日月も星も
其時違えず その道めぐる
我等も各々 力行やまず
本務を尽して 天意にそはん

世々の跡見よ いづれの国も
つとめておこり おごりて亡ぶ
我等も互に 荒怠いさめ
至誠を致して 国運たすけん

 大阪府立茨木高校現校歌【天つ空見よ】                                                              

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◎ お問合わせは、下記にお願いします。

「風船バレー用品・予算など相談可

風船(直径40㎝)1個150-鈴1個50-    (一社)大阪ふうせんバレーボール普及会 会長 石井勝治

風船5個750+〒140=890円+10%          〒533-0033大阪市東淀川区東中島1-17-5-637

風船5個750+鈴10個500+〒205=1455円+10%    Tel/Fax 06-6815-3523

 風船50個入1箱・鈴50個入1袋、別途価格    (MP-mail)ishiii. 1413 @ docomo. ne. jp

ポンプ600円ゲージ300円,1200円,ゼッケンは別途」  (PC-mail) ishkatsu @ yahoo. co. jp  1627452622402 (003)marinka_01img01-300x225

緊急電(マリンカ發9/2)

紙こよりの会中田伸吾代表は大変大きなショックを受けられた模様です。

実は懇意にされている純喫茶のマスタ-が青天の霹靂の如くがんによる余命宣告を受けられたようなのです。中田氏も7,8年前になりますが6か月の宣告を受けられたことが。在り、その時よりもショックが大きいようです。しかし中田画伯は、運命の期限を切られたその日に大展覧会を開催。見事奇跡の復活を遂げたのであります。9/3

 

“多聞言葉”シリーズ(探喫21‐35)

場のマネジメント

従来の会の運営システムは、主にタテ(上下関係)の影響をきちんと与えることを目的とする仕事の「仕組み」の枠づくりである。

しかし、世の中はタテばかりではなく、ヨコもある。

そして、著者のいう“場のマネジメント”とは、「仕事のプロセスの中で人々の間のヨコの相互作用を活発化させ、導くような枠づくりである」という。

氏は、「場」を次のように定義している。

「場とは、人々がそこに参加し、意識・無意識のうちに相互に観察し、コミュニケーションを行い、相互に理解し、相互に働きかけ合い、相互に心理的に刺激をする、そのプロセスの枠組みのことである」

つまり、場とは、人々のヨコの相互作用のプロセスの「容れもの」だといえる。このように考えると、“場のマネジメント”の原点は、チェスター・バーナードの組織論の考え方にあるといえるだろう。

バーナードは、組織を「協働行為の体系」であると定義し、その成立要件として次の3つを掲げている。

  • 共通の目的、② 協働意欲、③コミュニケーション。

つまり、関係性思考の価値観(=統合の価値観)をベースに、組織を構成するメンバーの主体性・自律性を促し、自己組織的にゴールを目指して動いていくような場を生成し、「場のかじ取り」をしていくこと。それが、“場のマネジメント”の意図するところであろう。

“場のマネジメント”の背後にある人間観は次の三つであるという。

  • 人間はつねに周りを見ている
  • 人間は実に多様な情報メディアへの感覚能力を持っている
  • 人間は個人ではあるが、全体という名の衣をまとった個人である

場に関する以上のような考え方を十分に考慮して、組織の中で、人々の間の「情報的相互作用」と「心理的相互作用」が十分に機能するようにマネジメントする必要があるだろう。

こうした「場の生成」により、自己組織化の機運が高まり、場にエネルギーが生まれれば、一人ひとりがもつポテンシャルが活かされる組織となるだろう。

自己組織化のためにも、“場のマネジメント”を深く考えてみたいと思う。

(R3.9.6)

エノテカさんより投稿『サー・バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド』

シャトー・ムートン・ロスチャイルドは、元々ロスチャイルド家が所有していました。しかしフィリップ男爵は、ロスチャイルド家の一員としてシャトーを発展させることを約束されていたわけではありません。

パリで生まれ育った彼がシャトーに訪れたのは、第一次世界大戦中のパリから疎開した16歳が初めて。その際にボルドーでの田舎暮らしを、過保護に扱われていたパリ暮らしよりも心地よく感じ、戦争が終わった後もしばしば訪れたそうです。

そうこうしているうちに、フィリップ男爵はブドウ畑に魅入られていきます。そして同時に、シャトーが荒廃していくことを感じ、ブドウ畑に興味のない父アンリに経営を自分に任せてくれと直談判したのです。

かくして、後に世界のワイン産業を牽引することになるバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドの誕生です。フィリップ男爵、弱冠20歳の時のことでした。

古き慣習との決別

シャトーの経営者として着任したフィリップ男爵は数々の改革を行い、シャトー・ムートン・ロスチャイルドの品質を著しく向上させました。その改革の幾つかはワイン業界にとっても革命的なことでしたが、特に影響が大きかったのが「生産者元詰」。

20世紀初頭まで、生産者はワインを樽で販売し、それを買い取ったネゴシアン(仲買業者)が瓶詰めを行うのが伝統的な慣習でした。しかし、悪質なネゴシアンは他のワインを混ぜたり水で薄めるなど、まさに水増しをして販売していました。

そのためフィリップ男爵は、ネゴシアンに瓶詰めを任せていては、どれだけ良いワインを造っても消費者に届くワインの品質を保証できないと考え、シャトーで瓶詰めを行い始めました。これは瓶詰めしたワインを保管しておくセラーをはじめ、ラベルやコルク、出荷用のケースなど膨大な準備が必要になり、言葉で聞く以上に大変なことです。

しかしボルドーでは1924年、ワインビジネスに参画してから僅か2年ほどのフィリップ男爵が周囲のシャトーに呼びかけて始めたことでした。若い新参者だからこそ、既存の枠組みに疑問を抱き、実現できたことかも知れません。

消費者を裏切らないための格下げ

90年代に普及したセカンドラベルや、ブランドワインの先駆けともいえる「ムートン・カデ」もフィリップ男爵が生み出した革新的なアイデアでした。

ムートン・カデが生まれたのは、ボルドーが歴史的な悪天候に見舞われた1930年のこと。不作のブドウで造った低品質なワインを「シャトー・ムートン・ロスチャイルド」の名で販売しては、消費者の信用を失ってしまうのではないかとフィリップ男爵は懸念を抱きます。そこで、法的に格下のACボルドーとしてワインを販売することに決めました。

今日でも、生産者は自分たちの看板を掲げるに値しないと判断した不作年のワインを格下げして販売することはありますが、そんなことをしているのは極一部の優良生産者に限られます。1年間苦労してブドウを育てたにも関わらず、その年の収入が数分の1になってしまう決断になるからです。

そんな決断を、現在ほど品質本位のワイン造りが行われていなかった1930年当時に出来たのは、フィリップ男爵が自分のワインに誇りを持ち、消費者のことを第一に考えていたからに他なりません。

そのため、リリースの際にはムートンと間違われないようにムートン・カデ(ちびムートン)とわかりやすい名前をつけ、さらにラベルも慎重にデザインしたそうです。

このムートン・カデは手ごろな価格と美味しさで大ヒット。その後は買いブドウから造るブランドワインとして、シャトーの財政を支える存在となりました。今では150カ国以上で楽しまれる世界で一番飲まれているボルドーワインです。

このようなフィリップ男爵の数々の努力が実り、1973年、シャトー・ムートン・ロスチャイルドはボルドー・メドック格付けの歴史上唯一となる昇格を果たします。フィリップ男爵がシャトーの経営を引き継いでから約50年後、71歳の時のことでした。

飽くなき情熱

悲願の1級昇格を果たした後も、フィリップ男爵のワイン造りへの情熱は冷めることはありませんでした。1979年にはカリフォルニアで、ジョイントベンチャーワインの先駆けであるオーパス・ワンを生み出します。

カリフォルニアワインがフランスワインに勝利した、かの有名な「パリスの審判」が1976年だったことを考えると、フィリップ男爵の先見性とチャレンジ精神には驚かされます。

カリフォルニア側の協力者は、カルフォルアワインの立役者ロバート・モンダヴィ氏。生まれも育ちも全く異なる二人でしたが、ワインに対する情熱が二人を繋ぎ、すぐに意気投合したそうです。

ロバート・モンダヴィ氏はカリフォルニア最高のブドウを提供、フィリップ男爵は当時のシャトー・ムートン・ロスチャイルドの醸造長を送りこむなど、惜しみなくボルドーの技術を提供し、オーパス・ワンが誕生しました。

結果としてこのプロジェクトはボルドーの最新技術をカリフォルニアに伝え、カリフォルニアワイン産業の発展にも貢献。そしてその後続々と、カリフォルニアに進出するフランスの生産者も増え、ジョイントベンチャーワインも世界中で誕生することになりました。

継承される熱き想い

フィリップ男爵は1988年に亡くなり、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社は男爵の娘へ。そして今では3人の孫たちに引き継がれています。しかしフィリップ男爵の情熱は、今も脈々と継承されています。

例えば、男爵の造ったムートン・カデは様々な農家が栽培した買いブドウ100%で造られていましたが、2004年に改革に乗り出し、2015年には全てのブドウが契約農家から供給されるようになり格段にクオリティが向上しました。

フィリップ男爵の熱い想いが、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド社を革新的なチャレンジを続ける世界屈指のワインメーカーたらしめているのです。

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