120.15友禅染めで神戸開港150年を祝ふ。

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 江戸時代に「兵庫津」を拠点に活躍した船頭「工楽(くらく)松右衛門」を題材に、大阪、奈良の作家が北前船を描いた友禅染を甦(よみがえ)らせ、神戸市須磨区にある松右衛門ゆかりの国指定登録有形文化財「荒井邸」に寄贈した。来年1月の神戸開港150年目に合わせ、「港の豊かな歴史を広く知ってほしい」と話し、同邸で公開される。(安藤文暁)

 松右衛門は高砂出身。同市兵庫区にあった兵庫津の船頭で、北前船の帆に用いた「松右衛門帆布(はんぷ)」を開発し、築港も手掛けた。荒井邸を建てた荒井家の先祖は廻船(かいせん)問屋を営み、奉公していた松右衛門に家督を譲ったことで知られる。

 寄贈された作品は縦1・3メートル、横70センチ。当時の海運業を飛躍的に発展させた松右衛門帆布を使った北前船を中央に描き、笛を奏でる童子らや神戸市の花アジサイも色鮮やかに盛り込んだ。

 制作したのは、ティッシュペーパーで作るこよりを絵筆代わりに水墨画を描く大阪府大東市の中田伸吾さん(63)と、奈良県五條市を拠点に手描き友禅教室を開く北岸香津代さん(64)。

 中田さんは2年前に荒井邸でイベントを開き、播磨町出身の自身と同じ東播地域がふるさとの松右衛門に興味を持った。今年6月、大阪府内の知人に紹介され、北岸さんとの合作が決まった。

 「神戸開港前も、兵庫津は主要港として偉人を輩出した。そのPRができる祝いの作品にしたかった」と中田さん。兵庫津は、奈良・東大寺を建設した僧、行基に縁があると知り、奈良に住む北岸さんも「神戸に親近感がわいた」と話す。

 作品は近く、廻船問屋の趣を残す荒井邸の玄関で公開展示される。家屋を所有する荒井道子さん(69)は「すてきな作品を多くの人に見てもらいたい。別の場所での展示要望があれば応じていきたい」と喜んでいる。荒井邸TEL078・731・0817

 ◇工楽松右衛門(1743〜1812年) 高砂出身で、木綿を使った厚手の帆布「松右衛門帆布」を開発。北海道・択捉島でふ頭を建設、1802年に幕府から工楽姓を与えられ、函館や広島県・鞆の浦の築港に携わった。司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」では、淡路・洲本出身の豪商高田屋嘉兵衛に影響を与えた姿が描かれる。

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多聞言葉シリーズ(探喫8-臨時便)      ボランティア

ここ数年間で数名の看護師が相次いでカンボジアを訪れてボランティア活動を

してきたときの話を聞く機会に恵まれた。それぞれが皆、感動を覚えて帰ってこら

れる。だいたい一週間から弐週間程度である。写真を見せていただいても子供

達がみんな素晴らしい笑顔で初めて会った看護師にたいしてたった数日で心を

開き全幅の信頼が得られるものなのか。相当レヴェルが高い人ばかり行かれて

いるのか。話を聞いていくうちに現場には常時詰めているボランティアの方々が

居り、体験的に来られるボランティアのためにシフトを開けて見守りや休日となり

ます。そして子供たちにもきっちりちゃんと事情を説明して新米ボランティアを温か

く育んでやってほしいと友達感覚で伝えていたからこそのあの笑顔だったのですね。

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”多聞言葉”シリーズ(探喫8‐33)

守破離

 『墨字絵隊観閲式(第5期)』が決定した。

 一期一年なので、この企画がはじまって5年目に入ったことになる。今回も、12名(定員)の参加者があり、実に有難いと思う。継続は力というが、多少ながら、ブランド力が培われてきているような気がしている。

 人が道を究める、上達の極意として“守破離”という3つのステップがあるといわれている。ネットで調べてみると、「守り尽して、破るとも、離るるとも、本ぞ忘るな」という千利休の言葉が語源だという。また、室町時代の世阿弥の「風姿花伝」に出てくる能を究める極意「序破急」によるという説もあるそうだ。

 “守”とは、基本を忠実に身につける段階をいう。素晴らしい師匠に出逢い、その流儀を完全にマスターできれば最高である。その時、大切なことは謙虚と素直さ。分かったふりをせず、すぐ師匠に素直に聞いてみることである。有名な同業者が、「うちの事務所は“ハイ”と“イエス”しかない」と話していたが、この段階での学ぶ姿勢をいっているのだと思う。白紙の状態で居れるか・・・。

 次に“破”とは、仕事に創意工夫を重ね、自分流をつくりあげていく段階である。ここで大切なことは、傲慢や慢心に陥らないことである。墨字絵士として駈け出しの頃である。生徒さん達にとって良かれと思い、自説を滔々と述べていると、「それって、あんたの師匠に相談した結果なの?」と問われ、そうじゃないと答えたら、「良く、師匠に相談してくれ」と一言・・・。人は、内容ではなく、誰がいったのかで、安心しているのである。虎の威を借りる重要性を知り、「うちの師匠が・・・」と前置きしていうと聞き入ってくれたのである。そのうち、「あなた自身はどう思う?」と聞かれるようになったことを覚えている。自分流が認められて、はじめて“破”である。

 そして“離”とは、師匠から離れ、自分流を世に問うときであろう。後継者でいうと、引き継いだ会社の抜本革新を断行し、第二創業を始めるときである。先代から継承した事業を、次元を変えて成長させていくことが問われる。この時に大切なことは、「不易流行」の見極めである。そして、時流を捉えて、自らの強みをどう生かしていくかであろう。

 “守破離”は、上達の極意だという。3つのステップ(守〜破〜離)を踏みながら、道を究めていくのであるが、私流にいうと逆算したらどうだろう。つまり、“離”の構想を先にイメージしておく。

 来るべき時のあるべき姿(離)を描き、現状との差を捉える。その差を埋めるために何をなすべきか(守と破)を考える。未来からの逆算である。

(H28.9.21)

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Sent: Monday, September 05, 2016 10:35 AM

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”多聞言葉”シリーズ(探喫‐31)

環境

 “環境”と価値観の関係性について考えてみたい。

 価値観とは、「思考の枠組み」のことである。人間には、人それぞれの価値観がある。十人十色、まさにその通り・・・。

 面白いことに、価値観は人そのものに備わっているだけではなく、時代には時代の、地域には地域の価値観があるのだという。だから、同じ日本人でありながら、江戸時代に生きていた日本人と、現代を生きている日本人では、同じ日本人でありながら、かなり考え方というか常識が違う・・・。また、九州と東北では、やはり違う。

 なぜ、そうなのだろうか?もちろんそれは、生まれ育った“環境”が違うからである。つまり、人はみな、“環境”からの影響を受けて生きている。そして、その出逢った“環境”によって身につけた価値観を自分の物差しとして、物事を判断し、選択しながら生きている・・・。

 人間は、歳を重ねる度に、様々な“環境”との出逢いを体験する。だとすると、「自分が信じている今の価値観は、いつどこで、どんな出逢いの影響を受けて、身につけたものだろうか?」 「今の自分に最もインパクトを与えた要因は何だったのだろうか?」

しかし、改めて聞かれると答えに窮するのではないだろうか。

 人生には節目がある・・・。進学、就職(転職)、結婚(離婚)等など。そんな人生の転機となる体験やそのプロセスの中で、どんな影響を受けて、私たちの価値観は形成されてきたのだろうか。また、多くの読書やセミナー等の勉強会、絵画や音楽の鑑賞、宗教等との出逢いも価値観の形成に大きな影響を与えているように思える。

 このように様々な“環境”との出逢いをベースに、今の価値観が形成されてきたのであろう・・・。ただ、私の場合は、仕事という“環境”からの影響が一番大きいという確信がある。その影響力は今でも大きく、今なお日々、価値観の成長を実感している。

 仕事とは、「仕」も「事」も「仕える」と読む。そこに、仕事の意味がある。今や死語に近いが、「滅私奉公」という言葉がある。昔は、働く者の倫理・道徳として広く語られ、価値観の形成に強い影響を持っていたようだ。仕事の本質を捉えた言葉だと思う。

 仕事を与えてくれる“環境”に貢献するためには、“環境”が求めているもの、需要をしっかり掴むことが重要だ。自らの価値観に捉われずに、“環境”の声に耳を傾けてみよう。“環境”が真に求めているもの、その変化などが聞こえてきそうな気がする。

 ビジネスの成功は、“環境”から必要とされている仕事を開発した者によって、享受されるものだ。元々、“環境”から授けられた価値観、環境の進化に貢献できてこそ、その成長も約束されるものだと考える。

(H28.9.5)