福島のM氏より再度投稿あり!前回本文が抜けており失礼しました!

「祖国の民へ」山下大将最期の言葉

 

 今を遡る事66年前、一人の旧日本軍司令官が異国の地で戦犯として死刑に処せられました。

彼の名前は山下奉文(ともゆき)。難攻不落の要塞都市シンガポールを攻略した事で当時国民的英雄となり、又その威風堂々たる容貌から「マレーの虎」と呼ばれた陸軍大将です。様々な経緯で、彼は終戦を迎えたフィリピンで処刑されるのですが、刑執行を間近に控えた際、教戒師を通じて国民にある遺言をのこしました。その内容は今日の日本が抱える諸問題をまるで見越していたかのような深い示唆に富むものであり、彼の鋭い洞察力と高度な思考力に驚嘆します。

医師の家系(父と兄が医師)に生まれ幼少の頃から際立つ俊英だった彼には、文のみならず類稀な武の才が備わっていました。もし彼の武の才がもう少し控えめであったなら、極めて有能な良医として故郷の人々に慕われる安穏な人生になっていたと思います。結局「武」の道を選んだがゆえに彼は波乱に満ちた生涯を送るのですが、それもまた運命なのでしょう。

軍人特有の「〜であります」といった口調や、衷心(ちゅうしん)贖う(あがなう)聊か(いささか)交々(こもごも)といった難読漢字が多数ある独特の文章ですが、是非御一読頂きたいと思います。尚原文は彼の口述を現地で教戒師が書き綴ったものゆえ誤字や文法的齟齬を所々含み、なるべく要旨が明確になるよう今回若干の訂正を施しました事を御了承下さい。

 

 

「 私の不注意と天性が閑曼であった為、全軍の指揮統率を誤り、何事にも代え難い御子息あるいは夢にも忘れ得ない御夫君を多数殺しました事は誠に申訳の無い次第であります。激しい苦悩の為、心転倒せる私には、衷心より御詫び申上げる言葉を見出し得ないのであります。かつて皆さん方の最愛なる将兵諸君の指揮官であった山下奉文は、峻厳なる法の裁きを受けて死刑台に上がらんとしているものであります。

謝罪の言葉を知らない私は、今や私の死によって、私に背負わされた一切の罪を贖う時が参ったと思うのであります。

絶えず死と直面していた私にとりましては、死ということは極めて造作の無い事であります。私は、大命によって降伏した時、日本武士道の精神によるなれば当然自刃するべきでありました。事実私はかつての敵将パーシバルの列席の下に降伏調印した時、自刃を決意しました。しかし私を思い止まらせましたのは、まだ終戦を知らないかつての部下達でありました。私が死を否定することによって、玉砕を決意していた部下達を無益な死から解放し祖国に帰す事が出来たのであります。

私は、武士が死すべき時に死所を得ないで恥を忍んで生きなければならない事が如何に苦しいものであるかと云う事をしみじみ体験致しました。此の事より、生きて日本を再建しなければならない皆様の方が戦犯で処刑される者よりどれだけ苦しいかという事が、私にはよく分かるのであります。

ポツダム宣言によって、賢明ならざる目論見で日本を滅亡に導いた軍閥指導者は一掃され、民意により選ばれた指導者による平和国家としての再建が急がれるでしょうが、前途益々多事多難たる事が想像されます。建設への道に安易なる道はありません。恐らく占領軍の政策として何等かの方法が取られるでありましょうが、まさに死に就かんとする私は日本の前途を思う余り一言申し添えたいと思うのであります。

今や死の関頭に立って万感交々至り、謝罪と共に言語の形式を以って申し述べたいのでありますが、武将の常として従来多くを語らず寡言実行の習癖と加える語句又豊富でありません故、これを表現する事が出来ない事を残念に思います。

私の刑の執行は刻々に迫って参りました。もう40分しかありません。この40分が如何に貴重なものであるか、死刑囚以外には恐らくこの気持の解る人はいないでしょう。私は森田教戒師と語ることによって、何時かは伝わる時を思い、皆さんに伝えて頂く事に致します。聞いて頂きたい・・・。

 

 

其の第一は義務の履行という事であります。

この言葉は古代から幾千の賢哲により言い古された言葉であります。そして又この事程実践に困難を伴う事はないのであります。又この事なくして民主主義的共同社会は成り立たないのであります。他から制約され強制される所のものではなく、自己立法的内心より湧き出ずる所のものでなくてはなりません。束縛の鉄鎖から急に解放される皆さんがこの徳目を行使される時に思いを致す際、聊か危惧の念が起こって来るのであります。

私は何回この言葉を部下将兵に語ったことでしょうか。峻厳なる上下服従の関係にあり抵抗干犯を許されない軍隊に於いてさえ、この事を言わざるを得なかった程道義は著しく頽廃していたのであります。甚だ遺憾な事ではありますが、今度の戦争に於きましても、私の麾下(きか)部隊将兵が悉く自己の果たすべき義務を完全に遂行したとは言い難いのであります。他律的な義務に於いてさえこの通りでありますから、一切柵や絆を脱した国民諸君が自律的義務を遂行するにあたっては、聊か難色があるのではないかと懸念されるのであります。旧軍人と同じ教育を受けた国民諸君の一部にあっては、突如開顕された大いなる自由に幻惑された余り、他人と関連ある人間としての義務履行に怠慢でありはしないかという事を恐れるのであります。

自由なる社会に於きましては、自らの意志により社会人として、否、教養ある世界人として、高貴なる人間の義務を遂行する道徳的判断力を養成して頂きたいのであります。この人類共通の道徳的判断力をもって、自己の責任に於いて義務を履行する国民になって頂きたいのであります。

 

 第二に、科学教育の振興に重点を置いて頂きたいのであります。

 現代における日本の科学水準はごく一部のものを除いて世界から相去る事極めて遠いという事は何人も否定出来ない厳然たる事実であります。一度海外に出た人なら第一に気付くのは日本人全体の非科学的生活であります。合理性を持たない排他的日本精神で真理を探究しようと企てることは、宛も水によって魚を求めんとするが如きであります。我々は資材と科学の欠如を補う為に汲々としたのであります。

 我々は優秀なる米軍を食い止める為百萬金にても贖い得ない国民の肉体を肉弾としてぶつける事によって勝利を得ようとし、必殺体当たり攻撃等の戦慄すべきあらゆる方法を生み出しました。資材と科学の貧困を人間の肉体を以って補わんとする前古未曾有の過失を犯したのであります。この一事を以ってしても我々職業軍人は罪萬死に値するのであります。

 収容所に向かう途中、米国記者に「日本敗戦の根本的理由は何か」と質問された時、重要かつ根本的な理由を述べんとするに先立って、今まで骨身に堪えた憤懣が終戦と同時に他の要求に置き換えられ、ようやく潜在意識の中に押し込められていたものが突如意識に浮かび上がり、思わず飛び出した言葉は「サイエンス」でありました。

 あの広島、長崎に投下された原子爆弾は恐怖に満ちたものであり、長い人間虐殺の歴史に於いてかつて斯くも多数の人間が生命を大規模に然も一瞬の内に奪われた事は無かったのであります。恐らくこの原子爆弾を防御し得る兵器は物質界に於いて発見されないでしょう。過去の戦争を全く時代遅れの戦争に化し去ったこの恐るべき原子爆弾を防御し得る方法が有るとすれば、世界人類をして原子爆弾を落としてやろうというような意思を起こさせないような国家を創造する以外には手がないのであります。

 敗戦の将の胸をぞくぞくと打つ悲しい思い出は、我に優れた科学的教養と科学兵器が十分にあったならば、たとえ敗れても、斯くも多数の将兵を殺さずに、平和の光輝く祖国へ再建の礎石として送還する事が出来たであろうという事であります。私がこの期に臨んで申上げる科学とは、人類を破壊に導く為の科学ではなく、未利用資源の開発あるいは生存を豊富にする意味に於いて人類をあらゆる不幸と困窮から解放する手段としての科学であります。

 

 第三に申上げたい事は・・・特に女子の教育であります。

 伝わる所によれば日本女性は従来の封建的桎梏から解放され参政権の大いなる特典が与えられた様でありますが、現代日本婦人は西欧諸国の婦人に比べると聊か遜色があるように思えます。日本女性の自由は自ら戦い取ったものではなく、占領軍の厚意ある贈与でしかない所に危惧の念を生ずるのであります。贈与というものは往々にして送り主の意を尊重する余り、直ちに実用化されず、観賞化され易いのであります。

 従順と貞節、これは日本婦人の最高道徳であり、日本軍人のそれと何等変るものではありませんでした。この去勢された徳を具現して自己を主張しない人を貞女と呼び、忠勇なる軍人と共に讃美してきましたが、そこには何等行動の自由あるいは自律性がありませんでした。

 皆さんは旧殻を速やかに脱し、より高い教養を身につけ、従来の婦徳の一部を内に含んで然も自ら行動し得る新しい日本婦人となって頂きたいのであります。皆さんは自由なる婦人として、世界の婦人と手を繋いで婦人独自の能力を発揮して下さい。

 最後にもう一つ婦人に申上げたい事は、皆さんは既に母であり又は母となるべき方々であります。母としての責任の中に、次世代の人間教育という重大な本務の存する事を切実に認識して頂きたいのであります。私は常に現代教育が学校から始まっていたという事実に対して大きな不満を覚えていたのであります。

 幼児に於ける教育の最も適当なる場所は家庭であり、最も適当なる教師は母であります。真の意味の教育は皆さんによって適当な素地が培われるのであります。若し皆さんがつまらない女であるとの謗りを望まれないならば、皆さんの全精力を傾けて子女の教育に当たって頂きたいのであります。然も私のいう教育は幼稚園あるいは小学校入学を以って始まるのではありません。可愛い赤ちゃんに新しい生命を与える哺乳開始時を以って始められなければならないのであります。

 愛児をしっかりと抱きしめ乳房を哺ませた時味わう至福の感情は、母親のみの特権であります。愛児の生命の泉として母親は全ての愛情を惜しみなく与えねばなりません。母の愛に代わるものはないのであります。母は子供の生命を保持する事を考えるだけでは十分ではないのであります。子が大人となった時、自己の生命を保持しつつあらゆる環境に耐え忍び、平和を好み、協調を愛し、人類に寄与する強い意志を持った人間となるべく育成しなければならないのです。

 どうかこの解り切った単純にして平凡な言葉を皆さんの心の中に留めて下さいますよう。これが皆さんの子供を奪った私の最期の言葉であります。 」

 

昭和21年2月23日 払暁  フィリピン・ロスパニオスにて絞首刑

 

                             (文責  山口多聞)