Good Loser

20201114_143602“多聞言葉”シリーズ(探喫20‐46)

グッドルーザー

“グッドルーザー(good loser)”とは、負けっぷりのいい人、「よき敗者」のことをいうそうだ。

明日は開戦記念日である。米国時間では12月7日「THE WAR」だ。

この米国では、米大統領選挙における「敗北宣言」の伝統を、その事例として挙げてある。

恐らく、いまや負けたはずの大統領が結果を認めない事態が続いているアメリカの今後を懸念してのことであろう。このままでは、政権が移行されても民主主義のこうむる痛手は深いと・・・。

長丁場の大統領選は、「民主主義の祭り」の様相を見せるが同時に、皮肉にも祭りのたびに社会は二分された戦いとなる。

ゆえに敗者は勝者を祝福し、勝者は敗者をたたえて、溝を埋める意志を示し合うのが、きれいごとに見えても祭りの終わり方だったという。その良き伝統を壊すような態度を取り続けるトランプ氏の意図はどこにあるのだろうか・・・。

ここまで書いているうちに、「敗軍の将は、兵を語らず」(『史記』)という言葉が頭に浮かんだ。「戦いに敗れた将軍は武勇について語ることはできない。転じて、失敗した者はその事について意見を述べる資格はない」という意味だ。

経営者など組織の上に立つ人たちにとって、“グッドルーザー”の心得は身につけるべき重要な教えだと考える。

“グッドルーザー”を演じることによって、次の二つの効用が期待できる。

一つは、戦いによって生じた分断を「統合」に導くことができる。

負けっぷりの良さが、場の共感を生み出し、差異を認め合う復元力を生み出すことが期待できる。

もう一つは、新たなチャレンジの機会を得ることができる。

「敗れたこと」に対して言い訳をせず、真摯に自己と向き合うことによって、自分自身の慢心さや傲慢さに気づかされて、自己革新の必要性を感じ、新たなチャレンジへの意欲が湧いてくる。

今やパラダイムシフトの時代だ。変革と挑戦をやり続けるなかで、成功と失敗は表裏一体だと思う。いづれにしても、結果から何を学びとるかである。そして、「人間としていかにあるべきか」を見直す機会を怠らないようにしたい。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語)。

(R2.12.07)

未来進行形

”多聞言葉”シリーズ(探喫20‐45)

未来進行形

今、『アメーバ経営』(稲盛和夫 著)を改めて熟読させてもらっている。

その中に、「能力を“未来進行形”でとらえる」というテーマがあり、稲盛さんらしい考え方だと思ったので紹介したい。

京セラを創業して間もない頃で、稲盛さん自らが何とか受注を増やしたいという一心で客先へ売り込みに行っていた・・・。その頃の京セラは無名の零細企業だったから、大手が断った難しい、面倒な製品の依頼しかなかったらしい。

難しい、面倒だからといって、それを断ったら、会社はやっていけない。そこで、稲盛さんは、たとえその時点の技術ではできない製品でも「できます」と言って受注をしてきたのだという。

当然、会社に帰り、技術者たちに話をすると、決まって「とても無理ですよ」と言い出す者が出てきて、みんながやる気を失いかけることもあったらしい。

そのとき稲盛さんは「できると嘘をついてきた注文でも、決して嘘にはしたくない。懸命に努力して完成させれば、嘘をついたことにはならないのだ。納期まで必死に頑張り、製品を完成させよう」と説いたそうだ。

今の時点で、どんな難しい仕事であっても、自分たちの能力を“未来進行形”でとらえてチャレンジし、誰にも負けない努力をすれば、何とかなるものである。京セラは、そうやって大きな飛躍を遂げてきたのだと思う。

思うに、小生にも、“未来進行形”のエチケットラヴェルがある。

紙こより画家の駆け出しのド素人だった頃、ギャラリ-南蛮で展示会をして、実演会や作品を展示してたのであるが、一日目が終わる頃に友人のソムリエが訪ねて来た、ひととうり見回した後最後に一言、「これム-トンのエチケット狙いませんか?」と訊ねられた。

すると

「わかりました。少し、時間を頂けますか?その件について調べた上で、小生の夢としてやっていきたい。」といって、即座に答えていたのである。

後で考えると、すぐに絶対無理ではないかと思い、本屋さんに駆け込み、関連の本を2、3冊購入して研究する。そして、朝一番ソムリエに電話をし、あの五大シャト-、ム-トンのエチケットに描けるにはどうすればよいのでしょう。と聞いたときソムリエは、「それは絵を続けることです。やめないことです!」といって頂いたものだ。

“未来進行形”の夢をもって、一番得したのは私だったと思う。新たな知識や経験を増やすことができたし、おかげで紙こより画家を続けることができたのである。

稲盛フィロソフィの一片に触れたような気がして、得した気分である。

「写は此の道譲らじ(彩雲)」20201114_151649

(R2.11.30)

個人的には。

”多聞言葉”シリーズ(探喫20‐44)

個人的には

 

『“個人的には”・・・。わざわざそう断って発言する人がやけに多いように感じる。気のせいだろうか。「私はこう思う」と単に言えばいいのに、なぜかこの表現がよく使われる』と・・・。

取り立てて言うほど気にはしてなかったが、確かに言われてみると、「“個人的には”・・・」という発言を耳にすることが多いように感じる。

“個人的には”という言葉の意味が気になって、調べてみると、「社会的な集団に対する各々の人に関すること」「公的なものと異なる」「個人を主体とするさま。個人に関するさま」とある。

何かの組織を代表して発言する立場でない限り、個人としての発言をしているのであるから、改めて言うまでもなく個人的なものである。それをなぜ、敢えて「“個人的には・・・”」というのか?

その使い方には、三通りの状況が考えられる。

  • 一つは、自信の無さ。自分の意見に自信を持てない背景から保身・保険のために使う。つまり、「逃げ道」として使う。
  • もう一つは、他の人への気遣い。相手の気に障るかもしれないが、これだけは言っておこうというときに使う。
  • さらに、場の活性化。他の人の意見を引き出し、場を活性化させるためにさりげなく使う。

日本の企業では同調圧力が強いので、その圧力にたえる「逃げ道」が必要となり、「個人的には・・・」という表現になってしまっているのではないかと指摘している。

ここまで書いているうちに、ふと、「自分はどうだろう?」と思って考えてみたが、ほとんど「個人的には・・・」という言葉をつかっていないことに気づいた。なぜか?一言でいうと、「個人=全体」という自覚であろう。自惚れではなく、立場上、無意識のうちにそうなってしまっているのかも知れない・・・。

今後、「個人的には・・・」という言葉を使うことがあったとしても、①ではなく、②あるいは③の状況で、使いたいと思う。「写は此の道譲らじ(彩雲)」

(R2.11.27)20201114_151717

君の名は。

20201114_1517451.であひ

時は皇紀2671年12月8日第二次レストラン戦争勃発。提督は新型戦艦建造計画作成(バトルシップレストラン)計画に基づきロフト内の生活骨董店に資材調達に向かふ。その時店番をしておられたのが画伯である。名刺交換していたのではあるがいきなり翌日会社に訪れてこられ飾ってあった書(1月の中ごろであったと思うが書初めで描いたものがそのまま残っていた)を誉めまくるのである。そして実はといふと自分は画家であり書道家でもあるとのことだ。確かに世界美術年鑑に載っており(油絵)現在は墨字絵(墨で描くのだが字を書いて絵になるといふ面白いもの)をやっているといふ。

2.太陽艇

2010/10/ 9 22:11

時は皇紀2672年8月8日ついに太陽艇の進水式が執り行われることとなり同年9月1日には連合艦隊旗艦となる。(バトルシップレストランのグランドオ-プン)そして翌年3月には太陽艇第参艦橋において墨字絵等を作成することになる。此処に合作堂が誕生し名作(迷作)八咫烏に仁王立ちが生まれたのだ。そのほかにも画伯の作品は艦内いたるところに飾られていたのである。

3.アクシデント

時は皇紀2673年4月8日桜は満開、画伯が大腸がんステージ4宣告され緊急手術するも余命6月となってしまったのである。しかし病は気からである。6か月を超えたころにあえて個展(墨字絵隊観閲式)を開催することにしたのである。(10月)追悼に式典になる可能性が大であった。とにもかくにも画伯は作品制作に没頭していくのであった。その間に治療の方はハイパ-サ-ミアとのであひと適合があり。な、なんと墨字絵隊観閲式の10月には元気に主役として参加されて以来第6回(7年間)を数えることになりますます多忙を極めて元気に活動されております。

4.ギャラリ-南蛮と紙こよりの会

時は皇紀2673年10月16日紅葉の頃、ギャラリ-南蛮で展覧会が行われている。此処は大阪梅田から近々にある阪急中津駅直で広さも十分で何しろ天井が高いので畳2畳ほどの作品も難なく飾ることが出来るのである。此処は提督が偶然なのか必然なのか見つけたのであるがオ-ナ-が神社主で、のちに作品を奉納させていただいたり後々には紙こよりの会に参加いただいたりすることになっていきます。第̪参回観閲式を迎えるころに画伯の作風が一変するのである。それは今まで、筆・墨・硯にこだわりがあったのが、な、なんとティッシュぺ-パ-をこよりにして筆とし墨汁液をたっぷり浸しゆらゆらと描いてゆく。そして百均の絵の具で淡く色づけしてゆくのだ。その後重要文化財荒井邸を皮切りに湊川神社や当麻寺・勝福寺・老人介護施設・障がい者施設等々を訪問し実演だけではなくお集まりいただいた人たち(子供たちも)に実際に描いてもらうのである。それからついに青年会議所を巻き込んで紙こよりの会が発足したのである。時に皇紀2678年4月8日

5.日本画新部門に登場

時は皇紀2679年2月20日ついに紙こより画が画壇に登場、美術の杜出版㈱現代美術人気作家年鑑に初登場、同年5月17日には日中友好会館において美術評論家の長谷川栄氏より直々に招かれオ-プニングセレモ二-付展覧会に出席することになる。展示は代表作の蓮華の子だ。

6.轟沈

時は皇紀2675年4月9日前出の太陽艇の話なのですが太陽艇は当時世界最厚を誇る45ミリメ-トルの鉄板を持つステ-キハウスでありましたが時代は既に電子調理器に移り皇紀2675年4月7日最後の出撃(通常営業)を終えて同年4月9日轟沈(閉店)。太陽艇は平和の尊さを教えたが、また、生きる為の教訓を数多く残している(決断より)

7.君の名は

時は現代その作家の名前は誰もが知る世界の巨匠、紙こより画創始者『中田 伸吾』その人である。

「写は此の道譲らじ(彩雲)」「後の写は蓮の子楽団と甲虫率いる昆虫楽団で構成された混成楽団(鳳彩庵龍雲)」1627452622438 (004)

0.-1.この物語が始まる以前の『中田 伸吾』赤の時代

8.鳳彩庵龍雲

後に明かされることになる紙こより画界の旋風的存在となっている鳳彩庵龍雲とはこの物語の中田伸吾(龍鳳)氏と彩雲氏の合作作品の時の作者名だったのです。更に2685年10月25日中田伸吾誕生日を祝いAサックス奏者とコラボした鳳彩庵龍雲氏の舞と音を交えた紙こより画実演コンサ-トが開催され74回目の生誕記念日を祝った。

この物語の核になる紙こより画を日本画分類から紙こより画というジャンルにしていただいたり鳳彩庵龍雲なる遊び心から始めたものを涵養に受け入れて頂いた美術の杜大橋様に感謝します。 彩雲

 

CONCENTRATION

20201114_14502320201114_143602“多聞言葉”シリーズ(探喫20‐43)

集中力

雲一つない秋晴れのなか、久しぶりにゴルフを楽しんだ。昼食後の後半は、半袖でも廻れそうな暖かさであった。

久しぶり親戚連中4人で参加し、一緒にプレーを楽しんだが、スコアはぜんぜん・・・。自重のせいで、体が回りにくいのもあるが、肝心なところで“集中力”を欠き、凡ミスが多すぎたせいだろう。

“集中力”(concentration)の低下、その原因は・・・。歳のせい?それも無きにしも非ずだが、やはり、執着心の欠如だろう。

「もっと、ゴルフが上手くなりたい!」「スコアは100を切りたい!絶対に120を叩かない」など、執念に燃えて一打一打を大事に打っていたような気がする。

だが、“集中力”の低下を嘆いてばかりいてもしょうがない。

「ゴルフは遊びだから」と言い訳しても、誰にも迷惑をかけるわけではないが、仕事においてはそうはいかない。それが歳のせいであるならば、「老兵去るのみ」だろうし、執着心の欠如だとなれば、手抜きを指摘されるであろう。

執着心の欠如といったが、“集中力”は「心の持ち方」で強弱が決まる。つまり、「心の強さ」以外の何ものでもないと思う。

では、「心の強さ」はどうやって鍛えられるのか?一言でいうと、目標設定の良し悪しで決まる。なにがなんでも達成したいと心底から思えるような価値ある目標をイメージできるかどうかだ。

そして、「あるべき姿-現状」が問題であり、その問題をどう解決するかを真剣に考えるところから、目標が生まれる。つまり、日頃の問題意識から目標が生まれ、その達成のプロセスの中で、「心の強さ」が鍛えられ、“集中力”が培われるのである。

そう考えると、“集中力”は日頃の鍛錬によって習慣化できるものだと思う。朝起きたとき、「今日一日をどういう生きるか」を考え、その成果とすべき目標を一つ、明確に掲げる。そして、それに集中する。

その気になれば、すぐに実行できることだ。仮に、その掲げた目標が他への貢献的な内容であるならば、なおさらである。有言実行し、他からも喜ばれるし、集中力が養われる。

中国の古典「呻吟語」(呂新吾)の中に、次のような言葉がある。

「精神を集中すれば、諸々の善が寄り集まってくる。逆に、精神を弛緩させれば、諸々の悪がその隙につけこんでくる」

“集中力”の必要性を語った言葉である。心が弛んでいては、なにもできない。

(R2.11.16)